第二回「薔薇と白鳥」感想ブログ

6月19日㈫。

当日券を取り、二回目の「薔薇と白鳥」観劇。

(ちなみに電話は166回かけて、12:22頃繋がりました。ぴあって諦めちゃいけないんですね。)

 

今回の席は一段高くなったところ。

前回は視界いっぱいに「薔薇と白鳥」の世界か広がったが、今回は少し客観的に(個人的には前回の席の方が好きだけど)観ることができた。

 

だからこうして今回もブログを……

え?別に読みたかない?

……ですよねー。

分かった頑張る。頑張って抑えるから。

 

 

前回も書いたけど、このお芝居は第二幕がすさまじい。

二幕は休憩を挟んでるにも関わらず、すぐ「薔薇と白鳥」の世界に戻れる。

戻れるというより「戻らされる」。

二幕初っ端からキットの苦しさを目の当たりにするし、「変わらざるをえなかった」ウィルの身を案じるし、「書けなくなってしまった」二人の苦しみが伝わってくる。

落ちぶれたキットと成功したウィル。

衣装からして対照的。一幕と二幕で衣装の雰囲気が逆転するんですよ。

だけど変わらないのは、キットが(実は)ウィルの才能を認めているところ。

「ここからが勝負だ。自分の内から湧き出てくるものを書け」

自分のことを天才だと認め、ウィルをライバルであると宣言(?)したキット。

二人はこれからもずーっと良きライバルなんだろうなぁ……。

 

 

さてさて、本編の話。

 

今回特に感じたのが、

・キットがエドワード二世を書いたことを知って、ウィルが激昂するシーン

・キットがウィルを説得するシーン

この2つの言い合いが、前回よりも強く響いたということ。

二人がよりウィルとキットに近付いたってことだと思う。

 

ウィルの叫ぶシーンは、前回よりもより苦しかった。

自分が作戦に加担しなければ誰も巻き込まずに済んだという葛藤、キットを失った悲しみ、信仰に板挟み(ちょっと言いたいこと違うんだけど)にされた苦しみ。

(遠かったからだとは思うけど)声がより拡散されてて、叫びというより「咆哮」に近い……っていうのかな。

負の感情を全部集めて、体内に留めておけなくて出してしまった声、みたいな。

苦しくて悲しくて、涙が出そうになった。

前回は真正面から受け止めたのに、今回のほうが苦しかった。

どうしようもない感情が爆発したんだな…って。

今回はキットじゃなくてウィルに感情移入したかな…

 

 つぎ、

ウィルが久々にローズ座に来るシーン。

前回は舞台の真ん中見てたけど、今回はキットに注目して見た。

ウィルが来ても何もなかったのに、ジェーンが来た途端に目線も身体も動いた。

多分表情も変わったんじゃないかな。

キットとジェーンの間には「愛」があった。

だけど自分じゃジェーンを絶対幸せにはできない。

だからキットは、ジェーンがネッドと結婚することに対して反対しなかったんだと思う…

 

「一度しか言わないからよく聞け。お前には俺を超える才能がある!」

このシーン。

前回よりも「本気で」伝えてるなと思った。

声の張り方が変わった感じ。

なんか光くんと雄也にリンクしちゃったな…

 

どうして、ウィル・キット・ジェーンは変わらなければならなかったんだろう。

どうしてあのままじゃいけなかったのかな。

苦しみに自ら飛び込むようなことになんでなっちゃったのかな。

社会の動乱はもちろんそうだけど…なんか、この辺よくわかんない。

 

カテコ。

キットは脚広げて立ってて、お辞儀も普通のお辞儀。

だけどウィルは脚も閉じて、紳士よろしく胸に手を当てたお辞儀。

ウィルは田舎から出てきてロンドンでちやほやされていく中で「胸に手を当ててお辞儀をするに値する」男になった。

かたやキットは粗暴で、あの先ずっとロンドンで演劇を書いていたとしてもウィルのようなお辞儀はしないんだろうな。

最後の最後まで、雄也はウィル、光くんはキットだった。

 

私がこの物語そのものにドはまりした理由を考えたら、ただの友情物語、愛情物語じゃなかったからだと思う。

宗教対立なんて当事者じゃないから分からないけど、同じものを信じているのに解釈の違いで殺し合うほどの憎しみを抱えてしまう。

楽しい、美しいだけじゃなく、心の中の全て、特に苦しみが表面に浮き上がって、ありありと見せつけられた。

それがこの舞台の醍醐味というか、惹きつけられる要因なんだと思った。

(実際二回のブログでもずっと苦しい苦しいって言ってるしね。)

 

舞台と映像の違いってなんだろう。

それはきっと、途中で途切れるか途切れないかだと思う。

映像はどうしてもカット割りとかあるし、セリフをトチったら止めなきゃいけないから、自分と役の行き来ができる。

ただ舞台はそうもいかない。最後(ある意味最期?)まで役にならないとできない。

映像の人間である私には、もしかしたら理解できないのかもしれない。

でもその熱を感じることはできる。

これからも色んなものを見続けたいと思った。

 

ただね、当時のイングランドでの詩人の社会的地位が低いって話があったけど、それは日本も同じ。

演劇や映画の地位が低い。(だめだこれじゃウィルみたいな韻は踏めない)(とは)

というか芸術だとみなされてない。

映画は高いし、舞台は敷居が高い。(だからウィル(以下略))

私はまだ20代前半で素晴らしい芸術に触れられたけど、機会を得る条件が悪すぎる。

クールジャパンとは何ぞや……

こういう芸術のことじゃないんか……(ちょっと違うんだと思うけど。でもアニメーターにしたって映画人にしたって同じくくりだと思うんや……)

 

 

ここからは完全に雄也担の話。

今回は雄也、カーテンコールのときちゃんと笑えてたね。

それ見て泣きそうになった。

最後階段上がって二人だけでお辞儀するとき、光くんが雄也の背中を押してるというか支えてるというか。

「雄也はいい仲間に出会えたんだな」と思った。

 

「光くんがやった舞台を見てやりたいと思った」

雄也にとって光くんは、キットとウィルみたいにある意味師匠だったんだと思う。

光くんのあの手には、色んな意味があった。

そう思います。

素敵なカンパニーに出会えた。ちょっと羨ましい。

雄也に限らずだけど、この大変な舞台を乗り越えてめきめきと成長する。

その様を実際に目にできた私は本当に幸せ者。

前回も書いたけど、「薔薇と白鳥」を通して二人は

「アイドル」だけじゃなく「役者」になった。

 

感想は「なんだかすごいものを観てしまった」、これに尽きる(そうです語彙力の低下です)。

もう「薔薇と白鳥」の世界には戻れないかもしれないけど、また別の世界に連れて行ってくれるのを楽しみにしています。

 

……どうだ!

だいぶ抑えたでsy……

……2000字超えてる……