役者・髙木雄也に惚れさせられた話。

2019年5月5日、初日という特別な日に、ストレートプレイ二作目の「クイーン・エリザベス 輝ける王冠と秘められし愛」を観劇した。

語り口がカタいのは観劇直後のまま書いてるから見逃してほしい。後で恥ずかしくて後悔するのは私である。


物語のあらすじもよく知らないまま席に着いた。

プログラムを捲り、あらすじを見てみると、「逮捕されるデヴァルー(エセックス伯のこと)」と書いてある。

それはすなわち、なにかしらの行動があるということ。


未だに「薔薇と白鳥」を超すものと出会えていない私は、ようやく抜け出せるというか、どんな風に私は揺れ動くのだろうとワクワクした。

実際「あらずじぱらっと読んだけどやばいり絶対薔薇と白鳥超えてくる。」とTwitterの下書きに書いてある。めっちゃ誤字。


結論から言うと、超えてはいない。


ただ、全く別のものが確立された。


薔薇と白鳥のようにこじらせはしないが、カーテンコールで泣いてしまうほどの感情を得た。


その感情のうち一つは「いいものを観たなぁ」みたいな曖昧なものだけど、もう一つは「嫉妬」である。


私は小さい頃から役者になりたかった。

だから大学も、授業として演劇ができる大学を選んだ。


ご存知の通り、私は役者ではない。

ならなかった理由は経済的なこととかもあるけど、下手だからなぁというのも一つ。


当たり前だよ、自分から何もしてないんだから。


今回、髙木雄也の演技を見て、それをまざまざと突きつけられた。

私は大学に行っていただけで、役者のスタートラインにすら立てていなかったのだ、と。


雄也は憑依型じゃない、と思っていたけれど、プログラムの中に「衣装を思いっきり脱ぎ捨てないと自分に戻れない」という文字を見た。

もちろん憑依型の役者さんが優れているとは言わないけれど、私の憧れは憑依型。

故に、なぜ髙木雄也を好きになったのか分からなかった。

好きに理由はないと思っているけれど、髙木雄也をますます好きになっていく理由は、彼のひたむきさにあると思う。

(もちろん役者さん全員そうだと思いますが、今回は雄也のブログなので雄也についてだけ書かせてください)

ロバート・デヴァルーという一人の人物と真摯に向き合い、その人と一体になる。

それって生半可な気持ちじゃできないこと。

私は割と役を俯瞰的に見るタイプで、終わったらすっと離れられていた。

でもそれはそんなかっこいいことではなくて、役に向き合っていなかっただけだ。

それに薄々気付いていながら、どうして「私はそういうタイプにはなれないから」と思って恥ずかしがっていたのだろう。

それが悔しい。ただただ悔しい。

あの四年間に気付いていれば、今の私は違う道を歩んでいた、と断言すらできる。

今の私が今の道に迷っているせいもあるかもしれないけど、泣いてしまうほどに刺さったのだ。


「ハル」との比較みたいになってしまって申し訳ないけど(誤解を招かないように言えば、ハルは本当に好きなミュージカルだしハルにも心を突き動かされました)、あのときは「やっぱり結局はエンタメやりたいんだなぁ。脚本今すぐ書きたい…!」と思ったけれど、今回揺らされたのはもっと根幹の、原動力のさらに元のような部分。

自分が進んだ道は根本的には間違ってないけど、今立っているところは間違ってる。

そんな気持ちになった。


ここからはポジティブな面から役者・髙木雄也に惚れた話をします。


「薔薇と白鳥」のときは、あくまで「ウィリアム・シェイクスピアを演じる髙木雄也」って感じが拭えなかったけど、今回は違った。

舞台に登場した瞬間から、エセックス伯だった。

「後半から出るから、既に作り上げられた世界に入るのは緊張する」って言ってたけど、そんな心配全くいらなかったよ。

だってエセックス伯は登場してなかっただけで存在してたんだから。

突然の現れる人って違和感あるものなんだろうけど、すーっと溶け込んでた。


背筋が真っ直ぐ伸びてて、女王に謁見する貴族そのもの。

 

エリザベス女王から見放されたとき、今まで一人称が「私」だったのが一回だけ「僕」になった。


アイルランドのときからエセックス伯は狂い出したけど、「狂う」って1番難しい芝居(だと思ってる)。

だって普段の自分と1番かけ離れてるわけでしょ?

でもそこで苦しくなって、引きつけられて、心が動かされて…

ごくせんのときは演技力が、なんて言われてたけど、そんなのもう過去の話。

髙木雄也という役者は確実に力を得てる。

それって、雄也に魅力が無いとできないこと。

雄也を高めてくれる(って上から目線すぎるけど)人に恵まれるって才能。

あと思ったのが、劇中に出てきた

「(エセックス伯は)人を惹き付ける、命の輝きを持っている」という台詞。

これに似たことをウィルも言われてた。

これはまさに、髙木雄也を表す言葉だと思う。

そんな役に二度も巡り会えたのも才能。

本当に素敵な人で、そんな人を好きになれて幸せだなと思いました。


今の時点で観劇から1時間以上過ぎてるから落ち着いてきたけど、観たあと45分くらいはポスターの写真すら撮れなかったし、せいばあを出そうと思えなかったし(ぷう大好きです)、雄也って呼ぶことすら躊躇ってた。

それくらい色んな意味で刺さった舞台だった。

観させてくれてありがとう。

好きにさせてくれてありがとう。

ぴったりな言葉は見つからないしあったとしても言い尽くせないけど、私は本当に素敵な舞台に出会えました。